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織田信秀花押
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1511年、尾張国南西部海東郡・中島郡に跨る愛知県愛西市・稲沢市を支配する勝幡城主で、清洲三奉行の一人の織田信定の長男として生まれる。
信長の父として有名だが、信秀自らも智勇に優れた武将であり、守護代二家のうちの大和守家下の庶流という低い地位から尾張各地、そして一時は西三河まで支配し尾張国を代表する勢力となり、信長の飛躍の基盤を作った
居城を勝幡城、那古野城、古渡城、末盛城と、戦略に合わせ、次々と移転したが、他の戦国大名の武田氏や朝倉氏や後北条氏や戦国時代の毛利氏、上杉謙信などは生涯居城を動かさず、信秀は特異であるがその勢力拡大への効果は大きい。この居城移転戦略も信長へと引き継がれた
大うつけと長老衆や周囲の悪評の高い信長に、那古野城を譲り、その後も一貫して自らの後継者に据え続けており、親子の間には信頼関係があった
1552年3月3日、末森城で死去した。享年42。家督は嫡男の信長が継いだ。葬儀は萬松寺で行われ、僧侶300人を参集させた壮大なものだった


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