運の花押を作る花押工房

花押工房
山縣有朋の花押
TOP


長州藩士、陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵。内務大臣、内閣総理大臣、元老、司法大臣、枢密院議長(第5・9・11代)、陸軍第一軍司令官、貴族院議員、陸軍参謀総長などを歴任した。
山縣有稔の子として生まれた。高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となる。1858年7月、長州藩が京都へ諜報活動要員として派遣した6人のうちの1人として、杉山松助・伊藤俊輔らとともに上京し、尊王攘夷派の大物であった久坂玄瑞・梁川星巌・梅田雲浜らに感化を受け9月に帰藩後に久坂の紹介で吉田松陰の松下村塾に入塾したとされる。
長州征討で高杉と共に活躍、戊辰戦争では北陸道鎮撫総督・会津征討総督の参謀となった。1869年、維新の功によって賞典禄600石を賜っている。
明治維新後、1869年に渡欧し、各国の軍事制度を視察する。翌年アメリカ経由で帰国。その後は大村益次郎の実質的な後継者として西郷隆盛の協力を得ることで軍制改革を断行、徴兵制を取り入れた。帰国後の12月24日、長州出身の陸軍軍人としては初めて第3代・内閣総理大臣に就任。
宮中某重大事件と原敬暗殺の後ほどない1922年2月1日、失意のうちに肺炎と気管支拡大症のため小田原の別邸・古稀庵で逝去する。83歳没。


花押の販売
花 押

花押を送料、税込みにて鑑定証書、花押七点証書、七点の説明書、筆順書付きで1点
45,000円


納品花押は1週間の納期でお送りいたします。


鑑定に必要ですからお名前に必ずふり仮名を付けて、生年月日、ご職業は記入してください。



TOP
カウンター
                                                                     
山縣有朋の花押